これまでの実績
1964年、現在のN.B.S、東京バレエ団代表の佐々木忠次氏と知り合い、㈱ジャパン・アート・スタッフ(東京バレエ団所属)設立に関与。以後30年、顧問となり財務・総務を担当する。東京バレエ団の海外公演にも従事し、モーリス・ベジャール、ジョルジュ・ドン等との知遇も得た。
一方で、幅広い音楽知識と交友関係を活かして、スタジオ・サンメディアを開設し、若き音楽家のためのサロンコンサートを始め、10年に亘りプロデュース・司会を担当した。このサロンから、諏訪内晶子、吉野直子、佐久間由美子、長谷川陽子等の俊英が世界に向けて羽ばたき、天満敦子、田崎悦子、深沢亮子、工藤重典の各氏も出演の常連であった。
作詞家としての道程は、郷里の佐原時代、新聞の詩欄に投稿を重ね、年間賞を受賞したことから選者の白鳥省吾氏の門下生となる。1961年、日本歌謡芸術協会(初代会長:白鳥省吾)が発足し、最年少の会員となり、歌の詞を書き始める。
西条八十・藤田まさと・西沢 爽・石本美由起などの大家が先輩詩人として参加していた機関誌「日本歌謡」に童謡等の作品を発表。その後、自由詩の作風を生かす道として、詩と音楽の会、日本歌曲振興会「新・波の会」に所属し、歌曲、合唱曲のための作品を発表する。
日本童謡協会では、社団法人の設立委員として、法人化に貢献した。
日本ペンクラブ会員。
また、伊能忠敬の近縁者の子孫として、伊能忠敬研究会の顧問を務める。