「撮りたいのは、“かっこいい写真”です」と語るのは、フォトスタジオ アース代表のカメラマン中川素男さんです。
豊富な現場経験と幅広い人脈を持ち、建築、料理、ファッション、人物とあらゆるジャンルに対応。依頼された仕事に期待以上に応えてくれるカメラマンとしてミツモアでも高く評価されています。
先日、ミツモアにて中川さんが成約したのが、大手製紙会社からの物撮り写真の依頼です。「しわがないようにカラーペーパーの見本の撮影を依頼したい」というものでしたが、経験豊富な中川さんに不安はなかったそうです。今回のミツモア通信では、そんな中川さんをピックアップ。カメラマン歴29年。経験をどのように武器に変えていったのか?中川さんにお話しを伺いました。
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プロカメラマンを目指して上京。華やかな世界で夢を追い続け
普通、カメラマンになるには師匠などについて3~5年の修行が必要だとか。中川さんも10代でプロのカメラマンを目指して上京。東京の写真専門学校を1981年に卒業後は、渋谷スタジオや、カメラマンのアシスタントとして働きながらカメラの修行に励みました。
Qカメラマンを目指したきっかけは何だったのでしょうか?
中川 「1つ目は写真屋の息子だったこと。そして、2つ目は、80~90年代の広告表現が、あまりにもかっこ良かったからじゃないでしょうか(笑)。当時、広告は単なる宣伝というよりも芸術作品のようで、僕にとってその中心にいたカメラマンは憧れの存在でした。当時の浅井慎平さんのPARCOのCM写真などは、今も鮮明に心に焼き付いていますね」
Q カメラマンのアシスタントをしていらした頃は1980年代。バブル絶頂期で広告業界は華やかだったでしょうね。どんな毎日だったのでしょうか?
中川 「モデルさんやクリエイターなど、いろいろな方との出会いがあって刺激的でした。海外での撮影も多く華やかな世界の中にいながら、カメラの修行に悪戦苦闘するような毎日でした。周りには僕のようなカメラマンの卵が大勢いて、お金もないし大変だったけど、辛いとは思わなかった。」
Q周りは、ライバル。そして毎日が刺激的。すごい世界ですね。
中川 「カメラマンを目指す連中の中には、広告・文化の知識やカメラのテクニックの知識が半端じゃない奴がいて、すごい悔しかったのを覚えています。特に米国のポップカルチャーに詳しかったですね。その反動か「じゃあ、俺はヨーロッパに詳しくなってやる!」と約3ケ月間、ヨーロッパ各国を1人旅したことがあるんです」。
Qそれはすごい経験ですね。どんな旅でしたか?
中川 リュック1つの、今でいうバックパッカーの貧乏旅ですよ。主な移動手段は自分の足が頼りで、イギリス、フランス、スペイン…と巡りました。それまでヨーロッパにはあまり縁がなかったから、古い歴史や西洋美術のすばらしさに自分の価値観が大きく変わりました。絵画や彫刻といった芸術作品や繊細で色彩豊かな料理などは、今でも自分の作品に影響を与えてくれる、インスピレーションの源ですね。
浜松でスタートした、新しいカメラマン人生
そんな中、中川さんが29歳の時、実家のお父様がお亡くなりになりました。中川さんは実家のフォトスタジオを継ぐべく、志半ばで浜松に帰らざるをえなくなったそうです。東京での修行時代が第一ステージとするなら、カメラマン人生の第二ステージが、浜松でスタートしたのです。
Q浜松に帰る時は、やはり後ろ髪がひかれる思いでしたか?
中川 そうですね。自分なりに努力して積み上げてきたものがありましたからね。せっかくこれからなのに…、という残念な思いは正直ありました。
Qご実家は、フォトスタジオですよね。浜松でのお仕事は順風満帆だったのでしょうか?
中川 実は最初は途方に暮れました。カメラマンとして培った知識や技術はありましたが、それまでは広告関係でしたから、とにかく勝手が違いました。たとえば、東京ではスタジオ内でモデルさんや物撮りでしたが、浜松では、屋外で会社案内用に建物外観や車など大がかりなものの撮影が多かった。どうやって撮影したら上手に撮れるのか自信が無くて戸惑う始末です。今だから白状しますが、東京時代の知り合いに撮影の仕方を聞いたこともありました。
Q.1番大変だったのは?
お客さまのニーズもまったく違うし、何から何まで初めてのことばかりで、東京とはまた違った苦労がありましたが、1番大変だったのは、カメラマンとしての自分のモチベーションが下がってしまったことです。写真を撮るのが楽しくなくなってしまったんです。
地球上のどこにいても変わらないカメラ愛
料理、建築、モデル、工業製品、ピアノ、ジュエリー、水中写真、空撮と、多岐にわたる撮影分野を誇るフォトスタジオ アース。現在は、地域に貢献する写真スタジオとして、スタジオ撮影はもちろんロケーション撮影まで多彩に対応しています。
しかし、浜松に戻ったばかりの中川さんは、一時はカメラマンという仕事に失望しかけたそうです。
Qエネルギッシュな今の中川さんからは想像できませんね。
中川 そうですね(笑)。今年でカメラマンになってから29年ですが、今は、何を撮っても楽しくて、面白くて仕方ないんです。ちなみに、フォトスタジオアースのキャッチコピーは「365日24時間、行けと言われればどこにでも!」です。
Qお気持ちが前向きになったきっかけは?
中川 結局は、カメラが好きなんでしょうね。撮影するのが好きなんだという単純な答えに気付いたのだと思います。それからは、仕事が楽しくなりました。
よく若手のカメラマンから「写真の構図がわからない」と質問をされるのですが、僕は次のように答えます。
~カメラの役割は記録。それも、その時の気持ちまで写しとれる道具です。たとえばコップを撮るとします。カメラマンは、どのように撮るかを考えるのが仕事。そのコップはどんなコップ?近代的なデザイン?それともアンティーク?それなら、どこに置くのがふさわしい?机に置いて、背景の窓にはレースのカーテンが揺れているのはどうだろう。じゃあ、時間は朝がいい。光が射していて…と、ここまで来るとカメラアングルはおのずと決まってくるし、ライティングも決まってきます。~
カメラは心で撮れ、と言いますが、そういうことです。撮影する対象物を、なぜ、どんな風に撮りたいかを自分で語れることが大切なんです。そのためにテクニックが必要になる。
Qなるほど!撮影されたコップの写真が見たくなりますね
中川 「そうでしょう!それに気がついた瞬間、カメラってなんて楽しいんだろうと思いました。“かっこよく撮りたい”という気持ちは10代の頃から変わっていないのかもしれません。仕事の依頼があるとワクワクしますね。どんな風に撮ってやろうかと。仕事がない時でもカメラはそばにあるし、撮るものがあるかぎり地球の裏側にでも出かけますよ!」
Qこれまでのご経験が中川さんの現在に昇華されている感じですね
中川 「そうですね。日々の仕事を支えてくれるのは、やはり東京での10年間の経験ですね。重ねてきた日々はダテじゃなかったと思います。これからも、好奇心の赴くままにフットワーク抜群のプロカメラマンでありたいと思っています。」
新規顧客の獲得を期待してミツモアに入会しました
Qミツモアへ入会していかがでしたか?
中川 「何にでも挑戦するのが僕のモットーですから。ネットを利用しての集客もやってみようと思って入会しました。見積もりを出す時にポイントを使うというのは他に例がないので戸惑いましたが、使ってみるとなるほど、と思いました。」
Q先日の製紙会社様とのお仕事はいかがでしたか?
中川 「先方は、シワがない状態で撮影したいと心配されていたようですが、ノウハウで対応しました。基本的に見積もりから納品までスムーズに行きました。」
Qミツモアを使ってみていかがだったでしょうか?
中川 「これまで接点がなかったお客様の獲得が見込めるので期待しています。ただ、見積もりを出した後に先方からのアクションが遅いのは改善してほしいと思います。」
Q最後に今後の目標を聞かせてください
おかげさまで地域のフォトスタジオとしてがんばっています。スタジオでの記念写真から遠方での出張撮影まで、精力的にこなしています。実は、ダイビングスクール「アースダイバーズ」の代表も努めています。これは、水中写真をやっていた関係で派生したもの。これからも、いろいろなことにチャレンジして、ひきだしを広げていくつもりです。そして驚くような写真を届けたいですね。
会社名の“アース”は、地球の意味。中川さんはドローンによる空中写真から、海に潜っての水中写真まで、まさに地球全体を舞台にエネルギッシュに撮影を行っています。そこに共通しているのは、カメラへの愛。きっと、今日も地球上のどこかでシャッターチャンスを狙っていることでしょう。
ミツモアは、プロの皆さまと、そのワザを求めているお客様を結ぶお手伝いをいたします。そして、みなさまと一緒に成長していきたいと思っておりますので、ぜひ、ご登録のご検討をいただければ幸いです。
【取材協力してくださったカメラマン紹介】
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【これまでの実績】
KAWAIピアノカタログ、岡村製作所インテリア、遠鉄不動産住宅、ヘーベルハウス、聖隷病院、冨塚幼稚園、瞳ヶ丘保育園、トクラス、共和レザー 他多数