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「ああっ、かわいい!」
妻は、私の赤ん坊の時の写真を見て言いました。
山梨県の私の実家に妻が来た時のことです。もう随分長い間押し入れに眠っていたアルバム。40年以上も前に撮影された昭和の写真は、色褪せていました。でも、その写真の輝きは衰えるどころか年月を重ねるごとに、増していくように感じます。
おそらく撮影したのは父親です。プロの写真家が撮影したわけでもありませんし、カメラだって一眼レフのような高価なカメラではなく、シャッターを押せば撮れてしまうコンパクトフィルムカメラです。私が特別かわいい赤ん坊だったからでもありません(笑)。それでもこのアルバムに張り付いた写真たちは、輝いています。
それは、もう戻ることのない過去の時間をそこに留めているからなのでしょうか? それとも撮った人の気持ちが宿るからなのでしょうか? その答えは私にもわかりません。ただ言えることは、時を経るごとに輝きを増していく写真があるということです。
昭和、平成を経て令和という時代へ移りかわる中で、人々と写真の関係性もだいぶ変わったように見えます。かつてフィルム写真の時代は、写真をアルバムにして、もしくはまとめて保存しておくモノでした。そのうちモノであった写真はデジタルという情報に置き換えられパソコンの中にしまいこまれるようになりました。写真は“プリントして見返すものから“流して消費する情報”へと変化しました。どちらが良いとか悪いとかそういう話ではなく、人と写真との関係性が変化したということです。
でも、私はこう思います。どんな時代の流れの中でも、写真には時間に磨かれて輝きを増していく力があるということです。いい写真には、技術だけではない要素が含まれています。だから、フォトグラファーとしての私に役目があるとするなら、その瞬間を紡ぎ出し、さっとすくい取るように記録し、あなたのこころを揺さ振ることができるような写真をご提供することだと考えています。
【生い立ち編】
山梨県片田舎の野山を駆け回って育つ間に、体力と運動神経が磨かれ、スポーツ万能少年として地域では知られた存在でした。それが、40歳を過ぎた今でもシャッターチャンスの勘の良さやフットワークに活かされています。
【仕事編】
大学卒業後、セールスプロモーションを行う会社へ就職。当時の私の担当は、世の中に普及し始めたばかりのフジルイルムのデジタルカメラの販売促進でした。まだ、600万画素が高機能デジカメと言われている時だった。これが私とデジカメの出会いのきっかけとなり、20代の頃から写真を撮り始めます。
その後、就職メディアに転職し就職情報誌「ATHLETE」の編集とカメラマンを兼務することに。社会人やスポーツ選手の記事を書いたり写真撮影を担当。2年後には編集長に着任。しかし、会社の吸収合併を期に、IT企業へ転職。本業とは別に、独学で写真家としての感性や技術を磨いていきます。
さらに、写真家『NO TRAVEL NO LIFE』の須田誠氏や、広告や書籍の表紙撮影などで活躍する榊智朗氏から、撮影テクニックだけではなく写真家としての心を学び、自身もプロとして活動を始めます。
撮影経験:10年以上