ウエディングの撮影を手がけるフォトグラファーは数えきれないほどいます。その中で独自のコンセプトを持ち、アピールするのは容易なことではありません。
パリやオーストリアなど海外ロケを重ね、現地でのウエディングフォトも手がけるオフィスイデ代表・井出慎也氏は、ミツモアのサイトを活用する動機について「お客様の見えにくいニーズや変化していく動向を捉える有効なツール」と語ります。
カメラマンという職業を始めた動機から独自の撮影スタイルを編み出してきた経緯など仕事について井出氏にお話を伺いました。
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親の反対を押し切り、東京の広告代理店でプロカメラマンとしてスタート
Q 井出さんがカメラマンの仕事を始めた経緯をまず教えてください。
井出 私自身の写真との関わりは高校時代に始まります。たまたま静岡で開催された高校総体でカメラ担当となり、撮影する楽しさにはまりました。その後、親の反対を押し切って上京し東京工芸大学(当時は短大)の写真技術科で学びました。
卒業後はそのまま東京で広告代理店に就職しまして、新車を撮影しカタログを作成する仕事を経験したのです。もちろん仕事はそれなりに楽しかったし、スタジオ撮影の技術も磨くことができましたが、しばらくするうちに迷いも生じてきました。
Q 順風満帆でプロのカメラマンになるという夢は叶ったけれど、迷いも生まれた?
井出 ええ、カタログ制作というのはアングルも照明も構成も決まっていますよね。自分の撮影したカタログ写真が、この新車の販売にどう貢献しているのかといったことを考え始めると、だんだんに苦しくなってきて。「自分はどんな写真を撮りたいのだろうか」と考えれば考えるほど迷いも出てきて、一度頭を冷やそうと。東京で4~5年程働いた後、キッパリ仕事を辞めて地元・富士宮市の実家に帰ることにしたのです。それが25~26歳の頃でした。
車の営業の現場で学んだたくさんのことがフリーの今に生きている
Q静岡に戻ってから、また撮影のお仕事をされたのでしょうか?
井出 いいえ、そう簡単にはいきませんでした。地元には東京のように色々な撮影の仕事があるわけではないので。中途半端に撮影の仕事をしても意味がないと考えて、全く違う業種である車の営業職に就いたんです。
その時私が担当したのは400~500万円という高級車の販売でした。しかもゼロからの出発。まずはお客様に顔を覚えてもらうことから始まりました。厳しい現実を思い知るうちに、ありのままの自分をさらけ出すしかない、妙なプライドは捨てようと思うようになりました。すると、だんだんに発見が生まれてきて営業成績も伸び、結果としてトップセールスの記録を挙げることができたんです。
Q営業の現場でいったいどんな「発見」をされたのでしょうか?
井出 東京でのカタログ制作の仕事は深夜に及ぶこともしばしばだったので、夜まで働くのは自分にとって抵抗感が全くなかったんですよね。だから、車の営業の仕事でも、お客様が帰宅する時間帯を見はからって顧客宅を訪ねてみたり、仕事を終えた後に本屋に立ち寄って新車の技術的な特徴など情報収集をしたり、車の特徴を比較する一覧表を作ったり。
そうした工夫が営業現場で大きな力を発揮することを身を以て知りました。商品知識をわかりやすく伝える、ということで社内でも重用してもらえたし、重要な商談の場にわざわざ呼んでもらったりしました。セールス話術も含め「ビジネス」の方法を、生に学ぶことができました。おかげさまでフリーランスになってからもあの時に学んだ体験が活きていると思います。
ウエディングの撮影にビジネスチャンスがある、とひらめいた理由
井出 車の営業をしていると、私がカメラマンをしていたという経歴に興味をお持ちになったお客様がいらして。「結婚式で撮ったスタジオの写真をどう思う?」と話してこられたんです。そのお客様は写真の出来上がりに不満があるようでした。現状がお客様の希望を十分満たしていないだとすれば、ウエディングの撮影にはまだビジネスチャンスがあるのでは、とひらめきました。例えば、スタジオの中だけでなく、例えば静岡の美しい風景を背景に撮影することもできるはず、と次々にアイディアがわいてきました。13~4年ほど前は今ほどブライダルフォトの選択肢もたくさんはなかったと思います。
Q当時、カメラマンを取り巻く状況の方はどのようだったのでしょう?
井出 時代はちょうどフイルムからデジタルへの移行期でした。価格が高くて手が出なかったデジタル一眼レフカメラが、ようやく百万円を切った値段で買えるようになってきたのです。と同時に、データ加工や編集作業をパソコン一台できるようになり、大きな転換期がきた、という感じがしましたね。フリーのカメラマンとして独立するなら今かな、と。
私自身、営業の仕事をしながら、休みには海外を旅して自分の作品の撮影を重ねていました。様々な土地の風景や人物のスナップを撮っていくうちに人の表情を撮る楽しさに目覚めたんです。また海外の魅力的な撮影ポイントにもいくつも出会いました。そうした経験を経て、自分自身の写真のテーマも見えてきたという手応えがあり、独立に踏み切ったんです。
結婚式の写真が、まるで美しい「作品」そのものに見えた
Q独立後、ウエディングフォトを中心に展開していったのですか?
井出 ウエディングフォトを始める直接的なきっかけは、ハワイの写真家、Lew Harrington(ロウ・ハリントン)の写真を見たことでした。アメリカ暮らしをしていた従姉妹がハワイで挙式をしたのです。私自身は参加できなかったので後日、結婚式の写真を見せてもらったのですが、ハリントンの撮った写真に強い衝撃を受けました。
私の中では結婚式の写真というのは「記録」に過ぎなかったし、とりたてて魅力も感じていませんでしたが、従姉妹の結婚写真は、まるで美しい「作品」そのものだったんですね。親戚として以前からよく知っている彼女が、まるでモデルさんのようにキラキラと輝いて美しかった。そうか、カメラマンの技術や演出の仕方、撮影上の工夫によって、ここまでできるのか、写真はここまでやっていいのか、とハリントンの作品から大きな刺激をもらいました。
そうした経験を経て次第に「海外でのウエディングフォト」というコンセプトが生まれ、2008年にIDEA PHOTO WORKS を立ち上げ、パリでのウエディング撮影を本格的にスタートさせました。静岡・富士宮に拠点を置いて海外撮影も引き受けるウエディングフォトグラファーというのは、当時も今も非常に珍くて私たち以外にほとんどいません。
Qウェディングフォトにおいて、心がけていることはありますか?
井出 お客様のニーズは多様です。例えば、「どうしてもパリで撮りたい」という思いの方もいるし、「映画のようなワンシーンを撮って欲しい」という希望もあります。あるいは、同じパリの街でも「決まり切った場所ではなくて自分らしい場所で」というご希望もあります。ですが、大手ウエディング企業に依頼してもなかなか細かな希望には対応してもらえませんし価格も非常に高くなってしまいます。
私たちはお客様のご希望に一つ一つ向き合い、柔軟かつ細やかに対応いたします。もちろん国内においても静岡をはじめ自然溢れる空間、美しい景色を背景にして、心に残るウエディングフォトの撮影を目指します。
双方向のコミュニケーションをとりやすいことが、ミツモアの優れた点
Qミツモアのサイトを使ってみて感じたことを教えてください。
井出 たくさんのフォトグラファーがミツモアに登録していますので、必ずしもお客様の希望と私たちのできることとが合致し撮影が成立するかどうかはわかりません。ですが、エントリーすることによって、今人々はどんな写真を撮ってもらたいたいのか、価格の相場はどうか、といったリアルな動向を、具体的に知ることができる点は貴重です。また、プロにとっては手数料に関して透明性が高い点も、高く評価したいですね。
個々のお客様のご依頼情報も、とてもわかりやすいと思います。例えば予算重視の方なのか、それともサービスか、ロケーションに対するこだわりを持っているのか、といった優先順位も見えますし、私たちの作品を実際に見ていただいた上でご選択いただける点など、プロにとっても自己アピールをしやすいサイトだと思います。提案したりご相談したり、という双方向コミュニケーションをとりやすいこと点こそ、ミツモアの優れた点だと思っています。
ミツモアは、プロの皆さまと、そのワザを求めているお客様を結ぶお手伝いをいたします。そして、みなさまと一緒に成長していきたいと思っておりますので、ぜひ、ご登録のご検討をいただければ幸いです。
【取材協力してくださったカメラマン紹介】
(株)オフィスイデ代表取締役・井出 慎也氏
高校時代、高校総体の担当カメラマンとなりスポーツ写真にのめり込む。東京工芸大学写真技術科へ進み、コダックのプロラボにてアルバイトを経験。卒業後は「株式会社フォトム」にて広告写真の世界へ。その後サラリーマン(営業職)に転職。フリーカメラマンとしての生活をスタートさせ2000年より海外でのスナップ撮影を開始、2008年「IDEA PHOTO WORKS」を立ち上げた。オリジナルウエディングやParisウエディング撮影を本格的にスタートさせ現在に至る。